東京高等裁判所 昭和53年(う)2258号 判決 1979年9月25日
主文
原判決を破棄する。
被告人を罰金一万円及び拘留一五日に処する。
原審における未決勾留日数中、その一日を金二、〇〇〇円に換算して右罰金額に満つるまでの分を、その刑に算入する。
原審における訴訟費用は全部被告人の負担とする。
理由
検察官の控訴趣意は、東京高等検察庁検事椎名啓一の提出した控訴趣意書に、これに対する答弁は、弁護人浜口武人ほか四名が連名で提出した答弁書及び「答弁書訂正申立」と題する書面に、弁護人の控訴趣意は、右弁護人らが同じく連名で提出した控訴趣意書にそれぞれ記載されているとおりであるから、いずれもこれを引用する。
検察官の控訴趣意第一について
所論は、要するに、原判決が、
「被告人は
第一 安藤邦彦の住居をひそかにのぞき見る目的で、昭和五一年一一月七日午前一時ころ、東京都杉並区浜田山四丁目三番一〇号都営第三住宅五号棟一号右安藤邦彦方住居の、同人が看守する生垣等で囲つた庭内に、木戸口から故なく侵入した
第二 正当な理由がないのに、同時刻ころ、前記庭内において、前記安藤邦彦方住居内をひそかにのぞき見た
ものである。」
との公訴事実に対し、右第二の軽犯罪法違反の事実については犯罪の証明がない旨判断し、同第一の住居侵入の事実については、「被告人は、昭和五一年一一月七日午前一時前ころ、東京都杉並区浜田山四丁目三番一〇号都営第三住宅五号棟一号安藤邦彦方の、同人が看守する生垣等で囲まれた庭内に、木戸口から故なく侵入したものである。」と認定したものの、その侵入目的については、公訴事実にあるように「安藤邦彦の住居をひそかにのぞき見る目的で」あつたとは認定できない旨判断したのは、いずれも証拠の評価を誤つて事実を誤認したものであり、その事実誤認が判決に影響を及ぼすことは明らかであるというのである。
所論に基づいて、まず原判決が本件軽犯罪法違反の公訴事実について犯罪の証明がない旨判断したことの当否について検討するに、安藤忠彦は、原審において、被告人が、昭和五一年一一月七日午前一時ころ、東京都杉並区浜田山四丁目三番一〇号都営第三住宅五号棟一号の安藤邦彦方住居の生垣等で囲つた庭(以下これを安藤方裏庭という)で、同人方住居内をのぞき見ていた旨証言し、同人の妻である安藤宏子も、原審において、右時刻に、右場所で、人が同人方住居内をのぞき見ていた旨証言しているのに対し、被告人は、捜査及び公判の全過程を通じて、前同日午前零時三〇分ころ安藤方裏庭に立ち入つたことはあるが、同人方住居内をのぞき見てはいない旨供述しているので、右各証拠の信憑性について考察を加えるべきところ、その前提として、被告人及び安藤夫妻の当夜の行動について証拠上問題なく確定できる事実を明らかにすれば、次のとおりである。すなわち、原審公判廷における証人安藤邦彦、同安藤宏子及び被告人の各供述並びに被告人の司法警察員に対する昭和五一年一一月一五日付(一)供述調書、司法警察員作成の実況見分調書四通によると、昭和五一年一一月七日午前一時ころ、安藤邦彦及びその妻宏子が、前記安藤方住居階下六畳間の蛍光灯の豆電球だけを残して消灯し、同間に東西に敷いた布団の南側に邦彦が、北側に宏子がそれぞれ頭を東にして横臥就床したが、その後間もなく右六畳間の南側に続く三畳間の裏庭側ガラス戸に人影を認めたので、邦彦が起き上つて枕元にあつた卓上ライターを持つて三畳間に行き、「誰だ。」と大声をあげ、卓上ライターをガラス戸に映つた右人影に向かつて投げつけたこと、その際安藤方裏庭にいた被告人は、一言も発しないでその場から安藤方の東側道路に出て、そこから北進し、更に安藤方北側道路を西に向かつて立ち去つたこと、一方安藤邦彦は、白のブリーフ、ランニングシヤツという下着姿のまま、直ちに右ガラス戸の、同人が右のように卓上ライターを投げつけたためガラスの割れた箇所の枠の間をくぐつて屋外に飛び出して、被告人を追いかけ、安藤方北西方にある遊園地付近路上で被告人に追いつくや、被告人に対し「痴漢。」とか、「のぞきだろう。」とか、「この野郎。」などと申し向けながら、その襟首を掴んだりして被告人を引立て、両者もつれ合うようにして安藤方玄関前に至つたこと、同所で、安藤邦彦は、同人の扉を開けるよう求める声で、玄関の扉を開けた妻宏子に対し「警察を呼べ。」とか、「一一〇番しろ。」と指示したが、宏子から「内藤さんよ。」と言われて始めて捕えた男が近所に住んでいる被告人とわかり、「失礼しました。」と挨拶し、被告人も「内藤です。」と名乗つたこと、当時の被告人の服装は、浴衣にウールの羽織を着ていたが、下着類はつけておらず、着衣の前がはだけて股間が露出していたことが明らかである。
そして、右の事実によると、被告人の当夜の行動には、被告人は安藤方裏庭でそもそも何をしていたのかと不審の念を抱かせるに足りるものがあるので、まず右の点について被告人が捜査の段階から原審及び当審の公判を通じて供述しているところを検討するに、被告人は、自己の当夜の行動について、昭和五一年一一月六日午後一時三〇分ころ妻敏子から電話があり、寿司を買つてあるから、誕生祝もしてないので、安藤宏子と話をしたいから呼んでおいて欲しい、玄関でチヤイムを鳴らすと子供が起きるから庭から行つたほうがいいということを言つたので、自分で呼べばいいだろうと返事をすると、電話番号がわからないからと言つていたが、自分は呼びに行く気もなかつたので行かなかつたところ、敏子は、七日午前零時三〇分ころ酒に酔つて帰宅し、まだ宏子を呼んでおいてくれなかつたのかとか、呼んできてくれなどと絡むので、遅いし酔つているからとたしなめたが、しつこく言つてうるさいので、もし起きているようなら声を掛けてみようかという程度の気持で、まともに呼ぶ気はなかつたが、自宅を出た旨、外に出ると、安藤方は一階は暗かつたが二階には明りがついていたので、起きているようなら声を掛けようかという気持ちになり、開いていた木戸口から庭に入つてしまつたが、起きているかなとか、どうしようかななどと思案しているうちに、怒鳴り声が聞こえガラスが割れたので、びつくりしてその場を立ち去り、道路に出たものの、追跡されているようなのでこのまま逃げるわけにはいかない、よく事情を説明しようと考えて、安藤方北西方にある砂場の付近で話し合う心算で、そちらの方に向かつた旨供述している。しかしながら、被告人の右供述には不自然であるとの感を抱かせたり、あるいは不合理と思われる点が少なくない。
まず被告人が妻敏子から安藤宏子を呼んで来てくれと依頼されたとの点については、被告人は捜査以来一貫してその旨供述し、被告人の妻である内藤敏子も原審公判廷において右供述に符合する証言をしているのみならず、同人は捜査官に対しても同旨の供述をしていたことが窺えるけれども、被告人方と安藤方との当夜までの交際、往来の程度について考えてみるに、被告人の原審公判廷における供述、被告人の司法警察員に対する昭和五一年一一月一五日付(一)供述調書、内藤敏子、安藤邦彦及び安藤宏子の公審公判廷における各証言によると、内藤敏子と安藤宏子とは親しく交際し、互に行来をしている間柄で、夜遅くまで話し込むこともあつたが、それとても午前零時をすぎるようなことはなく、安藤宏子は被告人方に来ていても被告人が帰宅すると遠慮して帰り、また被告人在宅中は上つて話し込むことはなく、玄関先で用を済ませて帰り、被告人と道で会つても挨拶をする程度の間柄であつたこと、被告人は安藤邦彦とは一面識もなく、同人宅を訪れることも稀で、しかも、それも玄関先で用件をことずける位のことであつて、家族ぐるみの交際をしていたものではなく、また、それまでに内藤敏子の誕生祝に安藤宏子を呼んだということもないことが認められるのであつて、内藤敏子が、従前同人の誕生祝に呼んだことのない安藤宏子を、しかも一一月一日の誕生日から既に数日を経過しているのに、誕生祝の名目で、そのうえ午前零時半を過ぎた深夜に、それも夫妻をともに招くならばともかくとして、妻だけを平素安藤夫妻と殆んど交際のない被告人に呼んでくるよう依頼するなどということは常識的に理解し難いことであり、仮りに誕生祝が単なる名目にとどまるとしても、かかる非常識を敢えてしなければならない程の緊急を要する重要な用件があつたことは窺われないから、この点の被告人の弁解は容易に首肯しかねるところというべきことに変りはない。
しかも、被告人が帰宅途中の妻敏子から、同女が帰宅するまでの間に安藤宏子を呼んでおいて欲しい旨の依頼の電話を受けた際、敏子は被告人に対し、帰宅予定時間や、自身の現在場所も告げていないというのに、安藤方へ出向いた際玄関のチヤイムを押すと、その音で同人方の寝ている子供らが起きると可愛相だから、裏庭から入るように指示したというのであるが、この点についてのみかように細かい配慮を示したというのも、話の運びとして如何にも不自然の感をまぬかれないとともに、敏子がその際このような細かい心遣いができるのであつたとすれば、そもそも被告人をして深夜安藤方へその妻女を呼びに行かせるという、前述のような常識外れの依頼をしたということが、それ自体理解し難いところである。そのうえ、妻敏子の帰宅後においては、既に深夜のことでもあれば、まず電話番号を確めて電話で安藤方に連絡するとか、近所のことでもあつてみれば、敏子自身を安藤方に呼びに行かせるとかして然るべきものと思われる。そして、その際事実は敏子がそれが出来ない程深く酒に酔つていたとは思われないのであるが、仮りに敏子が安藤方に電話したり呼びに行つたり出来ない程に深く酒に酔つていたとすれば、同女が如何にうるさく被告人にからんだからといつて、被告人のような分別盛りの男子が酔払いの妻の要求のままに、深夜他家の主婦をかかる状態の妻のもとに呼び寄せる非礼を敢えてするというのも、理解に苦しむところである。
もつとも、以上の点に関する被告人の供述に対しては、大筋においてこれに符合する内藤敏子の原審証言が存在するが、被告人と内藤敏子は夫婦であつて、両名において被告人の本件犯行の直後から、安藤夫妻に対する弁解の方法として、のちには捜査官の取調に対して、被告人夫婦の当夜の行動に関する供述を打合せて調整する余地のあつたことも事実であるから、被告人の供述に符合する内藤敏子の証言があるからといつて、被告人の上記の供述が直ちに真実とはいえないとともに、右に指摘した被告人の供述の不自然、不合理と思われる点が解消するものではない。なお、原判決はこの点に関連し、被告人の本件犯行後において、その妻敏子が安藤宏子を訪ねて弁解や陳謝をしたり、更に安藤邦彦とも夜間喫茶店に出向いたりして二度までも本件について話し合つているのは、同女にも本件の責任の一端があると思い、自責の念から安藤夫婦の誤解を解こうと努力していたものと考えられるとし、右事実が前記被告人の供述や内藤敏子の証言の信憑性を裏づけるものであるとしているが、内藤敏子の右行動は同女が被告人の妻として夫のことを心配して、あるいは夫からその大綱を指示されてとつた行動としても十分理解し得るものであるから、原判決の右説示は首肯し難い。
また、被告人は、当夜のその後の行動につき、安藤方の家人が起きているようなら声をかけようかという程度の軽い気持になり、開いていた木戸口から安藤方裏庭に立ち入つた旨供述しているのであるが、もし被告人において安藤方の家人に声をかけようかという気持になつたのなら、何故玄関から訪問しなかつたのか、あるいはまた、仮りに裏庭から立ち入るにしても、その際安藤方の家人に聞こえるように何故声をかけなかつたかという点が、その時刻が午前一時ころという通常他家を訪問する時刻でない深夜であつたうえに、被告人が平素安藤夫妻と殆んど交際がなく、被告人自身かかる深夜他人の家の裏庭にいるというだけでも世人の誤解を受けるであろうことは十分認識していた旨供述している事実に照らして、まことに理解し難いというほかなく、また、被告人が弁解するように、その際安藤方の家人に声をかけるについては、深夜のことなので周囲に気がねをしたということについては、被告人としては裏庭から安藤方に立ち入つた以上いずれは所詮屋内に向かつて声をかけなければ訪問の目的は果されないことであり、また、右のように裏庭から屋内の家人に聞こえるように声をかけたり、家人の注意を喚起するためにガラス戸を叩いたりすれば、寝ている同家の子供らを起こす危険もあり、玄関に廻つてチヤイムを押して音をたてるのと大差がないと思われるとともに、このため却つて周囲の家の人々にきき耳を立てさせることになつて、その分だけ余計に周囲に迷惑を及ぼすことになりかねないことを考えると、被告人の当夜の行動や弁解は益々解しかねるものである。
さらに、被告人は、安藤邦彦が「誰だ。」と大声をあげ、卓上ライターをガラス戸に投げつけた際、びつくりしてその場を立ち去り、道路に出たものの、このまま逃げるわけにはいかない、よく説明しなきや駄目だと考えて、安藤方北西方にある砂場の付近で話し合う心算で、そちらの方に向かつた旨供述しているけれども、もし被告人がその供述すうような意図で安藤方裏庭に立ち入つたものであり、同家住居内をのぞき見ていなかつたとするならば、被告人は全くやましいところはないのであるから、安藤方で怒鳴り声がし、戸のガラスが割れる事態が発生しても、それが直ちに自己に向けられたものであるとは判断できなかつたと思われるのに、直ちにその場から立ち去つたというのも肯けないし、また、仮りに右事態が自己に向けられたものであることを被告人において察知することができたとすれば、被告人はやましいところはないのであるから、その場にとどまつて、裏庭に立ち入つた目的について安藤方の家人に説明しようと考えて然るべきものと思われるのに、いちはやく道路に出てそのまま黙つてその場を立ち去り、安藤邦彦に追跡されて捕えられるに至るまでに、小児麻痺で若干不自由な足で同人方の裏庭の木戸口から四〇メートル余りも先へ、足早に去つているのであつて、社会生活の経験の乏しい子供や若年者ならいざ知らず、被告人の年配やその社会生活の経験に照らして考えると、被告人の供述するところとその実際の行動との間には、納得し難い齟齬があるといわなければならない。
なお、安藤邦彦が被告人を捕えた場所について、被告人は原審公判廷において、安藤邦彦と話し合うため司法警察員作成の昭和五一年一一月一二日付実況見分調書添付の現場見取図(3)の<2>の地点で安藤を待つていたもので、そこから右へ曲つてさらに進んではおらず、安藤邦彦が被告人が捕えたという<3>地点までは行つていない旨弁解し、原判決も右弁解を容れて、安藤方裏庭木戸口から約三八メートル離れた遊園地付近路上で安藤邦彦が被告人に追いついた旨説示しているが、安藤邦彦が被告人を捕えた場所は、むしろ右木戸口から約四四メートル離れた右現場見取図(3)の<3>地点と認めるのが証拠上至当であり、また、安藤邦彦の証言によると、同人は卓上ライターをガラス戸に投げつけた後直ちにガラスの割れた戸の枠の間をくぐつて屋外に出、全速力で走つて前記地点でようやく被告人に追いついたというのであるから、被告人も安藤方裏庭の木戸口から前記地点に至るまでの約四四メートルの間を相当に早い歩速で立ち去つたものと認められるのであつて、この点につき被告人は安藤方北西方にある砂場付近で安藤邦彦と話し合う心算で同所付近に向かつたものであつて、逃走の意図はなかつた旨弁解しているけれども、その行動は客観的にみてまさに安藤方裏庭から逃げ去つたというべきもの以外の何ものでもないのみならず、被告人は前記地点で安藤邦彦に捕えられようとした際にも、捕えられた現場においても、また、同所から安藤方の玄関に引き立てられている間においても、被告人が何故同人方裏庭に立ち入つたかについて説明を試みた節が全く見られない。もつとも、被告人はこれについて、その際は安藤邦彦が被告人に対して痴漢だろうなどとわめき散らして殴りかかつたりして、そのような説明のできる状況ではなかつた旨陳弁するけれども、被告人はその際邦彦に口を塞がれていたというわけでもなく、現に同人に対して反問したり抵抗したりしたことを被告人自身供述している位であるから、右の被告人の弁解も説得力に乏しいといわなければならない。そればかりでなく、被告人が安藤方の玄関に連れ込まれ内藤武男であることが明らかになつた後においても、被告人はその弁解するところによれば、当夜安藤夫妻から重大な誤解を受け、まだそれが解消したというのでもないのであるから、夫妻に対して同家裏庭に立ち入つた理由につき十分に説明し、必要とあれば被告人の妻敏子をも呼び寄せ、その説明の正しいことの裏付けをするなどして、右誤解の解消につとめるのが当然と思われるのに、全くその気配を示すこともなく、被告人が正当の所用で安藤方裏庭に立ち入つたことは既に安藤夫妻においてその旨を理解しているものと勝手に解釈して、そのまま同家玄関から立ち去つたというのであるが、これも実に不可解というべきである。そして、被告人は同所から帰宅するや、妻敏子に対し、単に「お前がつまらんことを言うから、えらい誤解を受けた。痴漢呼ばわりされたぞ。」と言つただけで、それ以上余り具体的な話もしなかつたというのであるが、上記のような重大な誤解を受けたすえに屈辱的な仕打ちまで加えられ、それが妻から依頼された用件を果そうとしたことから発生したというのに、その直後の妻への話しぶりにしては、事柄の重大性に比して余りに手短かに過ぎ、不自然の感をまぬかれない。
以上に検討したとおり、被告人の供述するところを当夜の被告人の言動などの客観的状況に照らして考察検討すると、被告人の供述する内容は余りにも不自然であることが蔽い難く、経験則に著しくかけはなれていて不合理と考えられる点も多く、容易に信用し難いものと断ぜざるをえないとともに、これに符合する内藤敏子の原審証言の信用し難いことも同様であるといわなければならない。
一方、安藤邦彦の原審証言の信用性について検討するに、右証言によれば、同人は昭和五一年一一月七日午前一時ころ、階下六畳間の蛍光灯の豆電球だけを残して消灯し、同間に東西に敷いた布団の南側に邦彦が、北側に宏子がそれぞれ頭を東にして横臥したが、間もなく宏子が、「洗濯物じやないし。洗濯物は取り入れたし。揺れてる。」というような独言を言つていたが、そのうち「人だ。」と言つたので、反転して三畳間のガラス戸の方を見ると、カーテン越しに人がぐつと室内をのぞいているような影が見えたので、枕元にあつた卓上ライターを持つて三畳間に行き、「誰だ。」と大声を出すと、人影が木戸口の方に逃げたので、直ぐに卓上ライターをガラス戸に向かつて投げつけ、ガラスの割れた戸の枠の間をくぐつて裏庭に出て、逃げる被告人を追いかけた旨及び声をかける直前人影の鼻から上の部分はガラス戸最上段の透明ガラスのところにあつた旨証言しているところ、被告人が右ガラス戸から安藤方住居内をのぞき見ていたのを発見した状況に関する右証言は、具体的かつ詳細であるのみならず、前記のように横臥していた安藤邦彦が、わざわざ起き上つて枕元にあつた卓上ライターを手にしたうえ、三畳間に赴き、「誰だ。」と大声をあげ、続いて卓上ライターをガラス戸に投げつけ、ガラスの割れた戸の枠の間から下着のまま屋外に飛び出し、同人方裏庭から走り去る人物を追い、これを捕えるや、「痴漢。」とか、「のぞきだろう。」などと申し向け、もみ合うようにしてその人物を自宅玄関先に連行し、妻宏子に対して警察に連絡するよう指示したという事実は、証拠上動かし難いところであり、そして、安藤邦彦の右言動は、その場の状況に応じて咄嗟の間のものであるばかりでなく、同人はその後妻宏子から聞かされるまでその人物が被告人であることを知らなかつたのであるから、邦彦の右言動は被告人が所属する特定政党に対する邦彦の反感に発したものと考える余地は存しないこと、並びに司法警察員作成の昭和五一年一一月二一日付、同年一二月三日付各実況見分調書によると、安藤方三畳間の裏庭側のガラス戸は五段に仕切られていて、下四段には曇りガラスが入れられているが、最上段には透明ガラスが入れられていて、右最上段のガラスの下部は、安藤方裏庭の三畳間に接した場所に置かれている敷石の上から約一五九センチメートルの高さにあること、一方被告人の原審公判廷における供述によると被告人の身長は約一七二・五センチメートルであること、従つて、被告人が右敷石上に立てば、右最上段の透明ガラスにそのほぼ鼻から上の部分を接近させることができること、司法警察員作成の昭和五一年一一月二一日付実況見分調書によると、同月二〇日の夜安藤方室内の電燈、仕切戸の開閉、カーテン等を本件当時の状態に再現したうえ、当時安藤邦彦が横臥していた場所から裏庭の方を見てみたところ、同裏庭の前記ガラス戸に接着した地点に立つている人物が薄黒く透視確認できたこと、及び後記のように邦彦の証言を裏づける内容の安藤宏子の証言が存在するとともに、前記のように邦彦の証言に相反する被告人の供述が不合理で措信できないことに照らすと、前記安藤邦彦の証言は十分信用するに足りるものということができる。
これに対して、原判決は種々の理由をあげて右証言は措信できない旨判断しているが、その説示するところはいずれも証拠の評価が適切でなく、首肯し難いといわざるをえない。すなわち、原判決は、安藤邦彦が、屋内をのぞき見ている人影をガラス戸越しに確認した際の状況について、「二、三〇秒間見て、のぞいているように見えた。」と証言しているとして、その証言と右の点についての安藤宏子の、夫は私の声と同時に起き上つた旨の証言とを対比し、その間に重要なくい違いがあるとみなし、従つて邦彦の右証言の信憑性には大きな疑問が残るとしているが、邦彦の右の点についての証言のなされた経緯は、同人が人影を見ていた時間数はわからない旨証言しているのに、検察官が重ねて「それは強いて言えば、何分ぐらいとか何秒ぐらいとか。」と質問し、邦彦が「二、三〇秒ぐらいじやないでしようか。」と答えているもので、原判決の摘示するように、人影を確認した時間について断定的に証言したものと認めるに足りないのに、これをもつて邦彦がその時間数を二、三〇秒間と断定的に証言したもののように解し、これを宏子の証言と対比して、その証言の信憑性を検討するのは相当でないし、また、原判決の指摘するとおり、安藤宏子の証言をみると、同証人は、邦彦が三畳の間に行く前に、同人がガラス戸越しにのぞき見をしている人影を確認したか否かの点について、明確な記憶を保持していないものといわざるを得ないけれども、しかし、そもそも事柄が宏子自身においてではなく邦彦がその人影を確認したか否かという問題であり、しかもその時間も極く短時間のことであつてみれば、邦彦が三畳間に赴く際立つて行つたのか、這つて行つたのかという点は勿論、その間宏子自身が立つていたの坐つていたのかという点についてすらも記憶の欠落が認められる宏子であつてみれば、当時の状況の下において、同人が前記の点について明確な記憶を有しないとしても怪しむに足りないというべきである。それ故、邦彦自身が人影を確認した時間の長さについて正確な記憶を保持しておらず、宏子も、邦彦が人影を一旦確認したうえで起き上つたか否かについて明確に記憶していないからといつて、邦彦が人影を確認した旨の同人の証言を措信し難いと即断するのは相当でない。また、原判決は、消灯直前直後の夫婦間の行為内容及び事件当夜被告人が安藤方の玄関先から解放されて立ち去つた後の、被告人に対する処置に関する夫婦間の会話内容について、邦彦と宏子の証言にくい違いがあるとして、これを理由に、安藤方をのぞき見ている人影を確認した旨の邦彦の証言の信憑性に疑問があるとしているが、それは証人らの記憶の混同や欠落を思わせるものではあつても、事柄が事件の核心から見て周辺的事情というべき部分に過ぎないものであつてみれば、右のような点について右両名の証言にくい違いがあるからといつて、直ちに邦彦の前記証言の信憑性にまで疑問があるというのは、証拠を全体として観察して評価するのに適切を欠き、本件においては首肯し難い判断といわなければならない。
また、原判決は、「邦彦が供述しているように、邦彦が妻宏子に『人だ。』と言われて反転し、二、三〇秒間ガラス戸の方を見たのち三畳間に行き、『誰だ。』と声を出したものであり、かつ被告人がその間室内をのぞき見ていたものであるとするならば、被告人は、邦彦が『誰だ。』と声を出す前に、白のブリーフ、ランニングシヤツという比較的目立ち易い服装の邦彦の動き(証人安藤宏子の供述によると、妻宏子は邦彦の肩をゆすつて起こしたと認められるので、宏子の動きも含まれる。)を確認でき、それに応じた行動をとつたであろうと考えられるのに」「被告人は安藤邦彦の声を聞くまではその場を立ち去ろうとするとか、その場に身をかがめて隠れようとするとかの行動を全くとつていない」のであつて、極めて不合理であるといわざるをえない旨説示しているが、司法警察員作成の昭和五一年一一月二一日付実況見分調書によると、同月二〇日の夜、安藤方室内の電燈、仕切戸の開閉、カーテンを本件当時の状態に再現したうえ、三畳間南側ガラス戸の外に立ち、顔を最上段の透明ガラスに接着させて安藤方住居内を透視してみたところ、一分間ぐらい経過して漸く目が慣れてくると、室内六畳間に坐つている者が手を動かしているのが、黒い物が動いている状態がうつすらと目に映つてきたというのであつて、右によると、顔面を右ガラスに接着させても内部を透視できるようになるのには、目が慣れるまでに若干の時間を要することと、透視できる状態になつてもその状況は決して良好とはいえないことが明らかであるところ、安藤宏子は、豆電球だけを残して消灯して横臥した直後に、三畳間南側のガラス戸に影を認めたので、「洗濯物を干した覚えもないのにおかしい。風もないのに揺れてるのはおかしいな。」と独言を言つているうち、人間の顔がぱつと映り、物影が全体として人間の形になつてカーテン越しにじつとのぞき込むような感じになつたので、「痴漢だ。」「のぞきだ。」と言いながら夫の肩をゆすつて起こした旨証言しているのであつて、右安藤宏子の証言並びに関連証拠によると、豆電球を残して消灯した直後に被告人がガラス戸に近づいて最上段のガラスに顔を接着させた途端に、宏子はこれに気づき、邦彦を起こしたものと認められ、一方、邦彦は宏子に注意されて反転し、ガラス戸の方を見て人影を確認した後、直ちに起き上つて枕元の卓上ライターを手にして三畳間に赴き、「誰だ。」と大声をあげてガラス戸に卓上ライターを投げつけたものと認めるべきであるが、司法警察員作成の昭和五一年一一月一二日付実況見分調書によると、邦彦が横臥していた場所及び卓上ライターを投げた場所として指示する場所の間の距離は約三・四メートルしかないのであるから、宏子が邦彦の肩をゆすつて注意した時点から、邦彦が三畳間で「誰だ。」と大声をあげるまでの間に左程の時間が経過したとは考えられないこと、そして、邦彦自身も、起き上つた後三畳間で大声をあげるまでの間戸外にいる人物に気づかれないようにそつと近づいた旨証言しており、上記のような事態に遭遇した者が、犯人に接近するについてこのような配慮を払つて行動することは、極めて自然なことと解せられ十分首肯できることなどを総合考察すると、邦彦が大声をあげるまで被告人が邦彦ないしは宏子の動きに全く気づかなかつたことも十分了解可能であるから、邦彦が大声をあげるまで、被告人において邦彦あるいは宏子の動きを察知したような様子が見られなかつたとしても、決して不合理ではない。
その他、原判決は、邦彦が被告人の所属する政党に対し強い反感を有し、このため全体としてその証言が強引かつ感情的である旨説示しているが、これは多分に同証人に対する質問の仕方とも関連していることが窺われるとともに、同人が現実に行なつた行動を供述している限りにおいては、同人の右特定政党に対する感情によつて、事実を曲げていると疑わせるかどは認められない。これを要するに、原判決が安藤邦彦の証言を措信し難いと断定している根拠は結局いずれも理由がなく、その末梢の点はいざ知らず、主要な部分については十分信用するに足りるものというべきである。
次に安藤宏子の原審証言について検討するに、同人は、昭和五一年一一月七日午前一時五分前ころ、階下六畳間に蛍光灯の豆電球だけを残して消灯し、同間の東西に敷いた布団の北側に頭を東にして南向きに横臥したが、その直後三畳間東側ガラス戸に物影を認めたので、「洗濯物を干した覚えもないのにおかしい。風もないのに揺れてるのはおかしいな。」などと独言を言つていた旨、また、最初その影はゆらゆら揺れていたが、そのうちに人の影がぱつと映り、物影が人間の形になつて、カーテン越しにじつとのぞき込むような感じになつたので、「痴漢だ。のぞきだ。」と言いながら同じ布団の南側に寝ていた夫の肩をゆすつて起こした旨及び人影は透明ガラスの部分にも映つていた旨それぞれ証言しているところ、右証言は安藤方住居内をのぞき見ている人影を確認した状況について、誠に具体的であり、かつ、既に証拠によつて明らかな前記のような邦彦の動きを中心とする当夜のその後の事態の推移に良く適合するものであることなどを考え合わせると、十分措信するに足りるということができる。
これに対し、原判決が右証言を措信できない旨判断しているところは、証拠の総合的評価において適切を欠きその説示は遽かに首肯し難いといわざるをえない。すなわち、邦彦が被告人を捕えて安藤方玄関前までこれを引つ立てて戻つたとき、宏子は被告人に対し「痴漢。」とか「のぞいた。」とか言つていないばかりか、当夜被告人が同所から立ち去る前にも、被告人に対して「失礼しました。」という趣旨の言葉をかけ、また、事件の翌朝午前八時三〇分ころ、被告人が安藤方を訪れて「昨夜は騒がせてすまなかつた。」と詫びた際も、宏子が被告人に対し、「痴漢。」とか「のぞいた。」とか言つていないことは原判決が説示しているとおりであるが、宏子の証言によると、同人は被告人の妻敏子とは親密に交際していたのみならず、被告人をそれまでは偉い人と認識していたことが認められるから、たとえ事件直後であつても、従前からの関係もあつて、被告人に対し敢えて面と向つて「痴漢。」とか「のぞいた。」とか申し向けることをしなかつたとしても、婦人としての慎しみもあることであり、何ら不思議ではなく、また、当夜邦彦に引つ立てられる途中に脱げた下足を拾つたのち、安藤方玄関前を通り過ぎて帰宅しようとしている被告人に対し、宏子が「失礼しました。」と挨拶したことについても、右のように同女がかねてから被告人を畏敬していたのに、当夜その直前に、その経緯はともかくとして、股間を露出した被告人のあられもない姿を目に入れる羽目になり、これに対する困惑の情や、かかるみじめな姿を他人の妻に目撃された者に対するあわれみの情などから、右のように申し向けたものと解するのが相当であつて、真実のぞき見られたとするならば、同女がそのような挨拶をする筈がないとまでは言えないし、事件後宏子が内藤敏子との交渉や警察に対する被害届提出後の処置について積極的に行動していないことも原判決の説示するとおりであるが、邦彦及び宏子の各証言によると、事件の翌朝、邦彦は、出勤するに際して、宏子に対し、邦彦不在の間に被告人が訪ねて来た際には、被告人の申出を聞いておくだけにとどめるよう、その応待の仕方についても細かい指示を与えているほどで、宏子はその後の事件の処置については夫邦彦に一任していたことが認められるから、宏子が事件の事後措置について積極的に関与していないからといつて、宏子の被害感情が稀薄であると即断して、のぞき見られたとの同人の証言の信憑性まで疑うのは相当でない。
また、消灯直前直後の夫婦間の愛情交換行為の経過の細部や、宏子が邦彦を起こした際に発した言葉が、果して「痴漢だ。のぞきだ。」という言葉であつたのか、あるいは単に「人だ。」と言つたにとどまるのかという点について、宏子の証言が邦彦の証言と一致しないこと及び邦彦を起こした際の宏子の声の大きさについて宏子の証言に一貫しない点のあることも、それぞれ原判決の指摘するとおりであるが、事柄が夫妻間の寝室内における行為の機微にわたる細部のことであつたり、これを何者かにのぞき見られていたと知つた直後の、驚きと恥らいと憤激とが交錯して混乱した心情下における当人らの言動の末梢に関する記憶の問題に過ぎないから、このために、宏子がガラス戸に映つた人影に気づいて夫邦彦に声をかけたとの宏子の証言の大筋の信用性にまで疑問が生じて、その証拠価値が動揺するということはありえない。また、宏子が邦彦を起こしてから同人が戸外へ飛び出して行くまでの状況について、宏子に記憶の欠落やその証言に曖昧な点のあることも原判決の指摘するとおりであるが、それらはいずれも事件の核心から離れた周辺的事柄であつて、前記のような混乱した心理状態の下においては、興奮や動揺のためかかる事柄についてまで記憶を保持していないとしても、別段奇異なこととはいわれないから、宏子の記憶に原判決が指摘しているような不明確な点があるからといつて、直ちに同人の前記証言の大筋の信用性についてまで疑問があるとするのは相当でない。さらに、原判決は、「もし証人安藤宏子の述べるように夫邦彦が飛び起きて直ちにあるいはちらつとガラス戸の方を見て三畳間へ行つて声を出してライターを投げつけたとすると」、「被告人は安藤邦彦の声がするまではその場を立ち去ろうとするなどの行動を全くとつていないのであるから、室内の同人らの行動を認識していなかつたのではないか、すなわち、未だ内部の状況を透視していなかつたのではないかと言える」として、その点からも宏子の証言は措信できないものであるとしているが、その理由のないことは、先に邦彦の証言について説示したところと同一であるから、再説しない。
これを要するに、原判決が指摘するような細部における証言の多少の混乱や不明確さがあつても、被告人の本件犯行を認めるべき主要な点においては、安藤宏子の証言は、客観的に認められる現場の状況等にも合致し、自然かつ合理的であつて、これと大筋において一致する安藤邦彦の証言と同様に、信用するに足りると認めることができる。
そして、以上検討して来たところによつてその信用性が認められる、安藤邦彦及び同宏子の各原審証言によれば、昭和五一年一一月七日午前一時ころ、被告人が、最初に宏子が前記ガラス戸の最上段に人の顔を認めた時点から邦彦が「誰だ。」と大声をあげて卓上ライターをガラス戸に投げつけるまでの間、安藤方裏庭の三畳間に近接した敷石上に立つて、同人方住居内をひそかにのぞき見ていた事実は動かし難いから、本件軽犯罪法違反の公訴事実は右証言等によつてこれを肯認できるにもかかわらず、原判決が右事実については犯罪の証明がない旨判断したのは、証拠の評価を誤つて事実を誤認したものというほかなく、右事実の誤認が判決に影響を及ぼすことは明らかであるから、右事実誤認を主張する論旨は理由がある。
そこで、次に、原判決が、本件住居侵入の公訴事実について、その侵入目的が公訴事実にあるように「安藤邦彦の住居をひそかにのぞき見る目的で」あつたと認定できない旨判断したことの当否について検討するに、先に判断したとおり被告人が安藤方住居内をひそかにのぞき見たとの本件軽犯罪法違反の公訴事実が肯認できるとともに、被告人が他の目的で安藤方裏庭に立ち入つたが、たまたまその機会に安藤方住居内をのぞき見たものではないかとの疑いを生じさせるようなふしは見当らないから、被告人の安藤方裏庭への侵入は、本件住居侵入の公訴事実がいうように「安藤邦彦の住居をひそかにのぞき見る目的で」あつたと認定すべきは当然である。従つて、原判決が右目的を認定できない旨判断したのは、事実を誤認したものであり、原判決が、この点につき、被告人は、「飲酒酩酊して帰宅した妻敏子に絡まれて困惑し、その煩わしさを避けるために自宅を出たが、外に出ると、安藤方二階に明りがついていたので、起きているようなら声を掛けようかという気持になり、つい明りに引かれるように安藤方の方に行き、開いていた木戸口から庭に立ち入つた。」可能性があるとしたのは、犯罪の態様についての重要な事実を誤認したものというべきであるから、その誤認が判決に影響を及ぼすことは明らかであつて、右誤認を主張する論旨もまた理由がある。
弁護人の控訴趣意について
所論は、原判決の住居侵入についての事実誤認を前提として、被告人が安藤方裏庭に立ち入つたのは、居住者である安藤夫妻の推定的承諾の範囲に属し、あるいは可罰的違法性を有しないものと見るのが妥当であるにもかかわらず、原判決がこれを否定して住居侵入につき有罪と判断したのは、刑法一三〇条前段の解釈適用を誤つたものであり、その誤りが判決に影響を及ぼすことは明らかであると主張するのであるが、右所論は、当裁判所が検察官の控訴趣意第一について以上に説示したところによつて既に明らかなとおり、その主張の前提を欠くものといわなければならず、前記の如く被告人が安藤方裏庭に立ち入つたのが同人方住居内をひそかにのぞき見る目的であつてみれば、その被告人の所為が安藤夫妻の推定的承諾の範囲に属するとか、可罰的違法性がないなどと考える余地もないから、弁護人の所論の理由はないことは明らかである。
よつて、検察官の控訴趣意中、原判決の事実認定を前提とし、その法令適用及び量刑を論難するその余の主張について判断するまでもなく、原判決は破棄をまぬかれないから、刑訴法三九七条一項、三八二条によりこれを破棄し、同法四〇〇条但書に従い、当裁判所において被告事件につき更に次のとおり判決をする。
(罪となるべき事実)
被告人は、
第一 安藤邦彦の住居内をひそかにのぞき見る目的で、昭和五一年一一月七日午前一時ころ、東京都杉並区浜田山四丁目三番一〇号都営第三住宅五号棟一号の右安藤邦彦方住居の同人が看守する生垣等で囲つた庭内に、木戸口から侵入した
第二 正当な理由がないのに、同時刻ころ、前記庭内において、前記安藤邦彦方住居内をひそかにのぞき見た
ものである。
(証拠の標目)(省略)
(法令の適用)
被告人の判示第一の所為は刑法一三〇条前段、罰金等臨時措置法三条一項一号に、判示第二の所為は軽犯罪法一条二三号に各該当するところ、判示第一の罪につき所定刑中罰金刑を選択し、以上の各罪は通常互に手段、結果の関係にあるものとは認められず、検察官がその控訴趣意において主張しているとおり刑法四五条前段の併合罪であると認めるのが正当であるから、同法四八条一項により判示第一の罪の罰金と判示第二の罪の拘留を併科することとし、それぞれ所定の金額及び刑期の範囲内で被告人を罰金一万円及び拘留一五日に処し、刑法二一条により原審における未決勾留日数中その一日を金二、〇〇〇円に換算して右罰金額に満つるまでの分を右罰金刑に算入し、原審における訴訟費用は、刑訴法一八一条一項本文を適用して全部被告人に負担させることとする。
(量刑の理由)
本件犯行は、被告人が深夜安藤方住居内をひそかにのぞき見る目的で同人方裏庭に侵入し、その裏庭に面した三畳間ガラス戸の最上段透明ガラスの部分に顔を近接させて内部をのぞき見たという事犯であつて、被告人の教育程度や社会的経歴などに照らして考えると、被告人の右所為自体に対する非難も決して小さいとはいえない。しかも、被告人は自己の刑責を免れることに汲々として、本件が被告人の所属政党に対する安藤邦彦の敵意と反感に基づく政治的謀略事件であるかの如く主張するなど、反省悔悟の情も十分とは認められないのであるから、その刑責は決して軽微とはいえない。しかしながら、他面被告人は安藤方住居内をのぞき見たとはいうものの当時安藤夫妻は布団の中で抱き合つて横臥していた程度の状態であつたと認められるのみならず、現場の状況からして、ガラス戸の外からでは、差し当り屋内の様子は、単に黒い物が動いている状態がうつすらと透視できる程度に過ぎなかつたと思われるのに、しかも、被告人はのぞき見を始めた途端に安藤宏子に発見されたもので、左程深刻な被害が発生しているとは認められないことや、たまたま安藤方裏庭の木戸口の扉が開いていた可能性も絶無とは言い切れず、しかも右裏庭は道路と右木戸口を挟んで直接通じている場所であることなどを考え合わせれば、その侵入の動機はともかくとしてその態様が特に悪質であるとまではいえないこと及び被告人にはこれまで全く犯歴がないことなどを斟酌すると、被告人に対しては住居侵入の罪及び軽犯罪法違反の罪につきそれぞれ前示の刑を科するのが相当であると思料される。
よつて、主文のとおり判決をする。